ゆとり世代の青春エッセイ「時をかけるゆとり」が面白い

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朝井リョウ氏のエッセイ3部作の1冊目「時をかけるゆとり」を読んだ。

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友達に最近読んで面白かった本として勧められた。
「でも本当にくだらないよ。」という注意付きで

朝井リョウ氏の小説「桐島、部活やめるってよ」「何者」も中高生の時に読んで、自分の心を見透かされているような、自分の隠したい本心をそのまま文章にされたような、恥ずかしさを感じた記憶がある。

そんな、ゆとり世代の心理描写が上手な朝井リョウ氏のエッセイ、気にならないわけがない。

ぶき
ぶき

というわけで、「時をかけるゆとり」の感想を書きます。

何かを成し遂げた後の全能感の感じがリアル

埼玉県本庄市から早稲田大学までの100キロハイクを達成後の溢れかえる熱い思い、の表現に共感した。

本当に、本当に、本当に、本当に、人生諦めなければ何だってできるのだ。だけど明日は何もできない。

浪人生活を乗り越えられた時、日本橋から京都まで東海道を父と歩き切った時、たしかに自分は何でもできる気がした。

それでも、先延ばし癖はやめられないし、筋トレは続かない、という日常に変化はないのだ。

人生の夢と就職

作家でありながら就職した理由を問われた際の返答が印象に残った。

単純に、「作家デビュー」という人生の夢と、「就職」が順番として逆になってしまっただけだ。

「桐島、部活やめるってよ」で賞を取ろうとも、大学を卒業したから就職する。
端から見たら素晴らしい功績を残している人も、私たちと同じ人間であり同じ常識のもとに生きている。

「作家なんだから就職の必要はない」という思い込み。私たちはすぐにレッテルを貼りたがる。
「お金持ちなんだから・・・」「女の子なんだから・・・」というのと同じなのかもしれない。

それと同時に、やりたいことと社会的にやらなければならないことは両立できるんだな、というメッセージも(勝手に)感じ取った。

人生に「あがり」はない

直木賞受賞後の「ルーレットの目」というエッセイからの抜粋。

「若くして直木賞を受賞した人」として美しい額に収められはするだろうが、その一秒後からも、私は生きていかなくてはならない。

たしかに他人の人生をラベルを貼って片付ける経験をしたことは何度もある。

東大に行った◯◯君、芸能活動をしていた◯◯ちゃん…etc
ふとした瞬間に「あれ、そういえばあの子ってその後どうしたんだろ?」となる。

あの芸能人は今、なんて言われるのもそういう感覚なのかな?
そう言われて初めてその人のその後に思いを馳せる。

人生何を成し遂げても、死ぬまで頑張って生きなければならないことには変わりない。

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👇ゆとりエッセイ2作目の記事もご贔屓にm(_ _)m

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